松山地方裁判所 昭和25年(行)18号 判決
原告 加藤晴夫
被告 国家地方警察愛媛県警察隊長
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、請求の趣旨
原告訴訟代理人は、被告が原告(当時国家地方警察愛媛縣警部)に対し昭和二十四年十一月二十二日付でした依願免官処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求めた。
三、事 実
(一) 原告は、昭和五年九月一日愛媛縣巡査を拜命、爾來約二十箇年の間優良な成績で事故なく警察事務に從事し、その間国家地方警察の創設と共に愛媛縣地方警察に籍をおき、昭和二十三年七月末上浮穴地区警察署長に補職せられ翌昭和二十四年八月十三日までその地位にあつたが、同日縣本部警務部に轉勤を命ぜられ同部に勤務中、同年十一月十一日原告が提出した退職願に基き同月二十二日付を以て被告のため免官処分に付せられ、国家地方警察愛媛縣警部の地位を喪つたものである。
(二) 原告が右退職願を提出するについては、大凡次に述べる経緯があつたものである。即ち、
(1) 昭和二十四年八月二十五日愛媛縣上浮穴郡地区の縣会議員の補欠選挙が施行される予定でその選挙運動が活溌に行われていた最中、同月十一日原告は被告の命により縣本部へ出頭したところ、被告は、突然原告に後述(三)に記載するような規律違反の事実があると主張し、原告に対し円満に事を收める方法と称して退職願の提出方を強要した。然し、原告は、自己に被告が主張するような非行はないと確信していたので弁明を試みたが被告は了解して呉れないので、所定の手続により原告を懲戒審査委員会に付議せられる様被告に要求しておいた。然るに、その翌々日同月十三日被告は原告を突如縣本部警務部に轉勤を命じ、且つそれには出勤の必要がない旨の添書が付せられており、原告を事実上の休職処分に付して失つた。然し一應挨拶廻りだけはしておかなければならないので、同月十九日原告が縣本部に赴いたところ、この時も、被告は人事裝備課長を通じて再び原告に対し退職願の提出方を要求したが、原告はこれを拒絶した。同年十月一日命令により縣本部に出頭すると、又々被告は人事裝備課長を通じて原告に対し退職願の提出方を強要したが原告は三度これを却けた。その後同年十月十七日温泉地区警察署において、被告の旨を承けた同署長桑村警視及び縣本部搜査課長越智警視の両名から辞職の勧告を受け、又同年十一月四日再び同署長から電話を以て退職願の提出方の交渉をしてきたがその度原告はこれに應じなかつた。
(2) かような経過を辿つて、同年十一月十日縣本部において、被告が委員長として主宰し前記越智警視以下四名の委員を以て組織する懲戒審査委員会が開催され、原告に規律違反の事実があるかどうかの点について審査が行われた。然し、右審査に当つては原告請求の証拠調の結果はほとんど採用されず、原告の弁解は顧みられず、結局審査の結果は原告の不利に帰した。右の決定がなされると、被告は、その場で原告を「免職だ」と大声で叱咤して、原告を畏怖せしめた。
(3) 右懲戒審査委員会終了後、温泉地区警察署において、前記桑村警視及び越智委員両名は又々原告に対し退職願の提出方を強要し、同人らは、若し原告がこれに從わないときは審査委員会の決定に從つて原告が免職処分に付せられ、その結果は恩給も退職金も支給されず甚だ不利であるから、家族のことも考えて善処すべきである旨のことを述べて約二時間にわたり強硬な説得を試み原告に心理的圧迫を加えたので、原告も遂に抗し切れずこれに同意した次第である。而して、その翌日、桑村警視の手によつて作成された退職願に原告が押印したところ、同人から被告に提出され、前述の通り同年十一月二十二日付を以て被告の原告に対する依願免官処分が発令されたものである。
(三) 而して、原告が懲戒事犯に問疑された規律違反の事実というのは原告が昭和二十四年六月某日某署員の送別会の宴において当時の原告の部下であつた上浮穴地区警察署勤務の電話交換手天野タマキに情交を迫り、拒絶せられるや同人の意志に反し同人を接吻し同年七月十日夜と同月二十九日の両度にわたり、同じく電話交換手である山内みどりに接吻を強要して目的を遂げたと言うのである。然しながら、前者に対し原告がした行爲というのは、醉余の冗談であり、無邪気な戯れにすぎなかつたもので被告の主張するようなことが事実行われ得ない客観的情勢に在つたものであり後者に対する行爲というのは、被告主張の事実と全く相反する事実である。もともと事の発端というのは、当時原告の部下であつた警察事務官高木信三に非行があつたので、原告が被告に対し同人の懲戒方を申請したところ、それが同人の怨恨を買い、ために同人が原告を誣罔して被告に申告したに因るものである。
(四) 然るに、被告が原告の軽微な非行を採り上げてこれを問責し、終に前述の通りの経緯により原告をして退職願を提出するを余儀なからしめたのは、その裏面に政治的の策動があつたものである。当時愛媛縣議会は同縣知事青木重臣を支持する一派(愛民党)とこれに反対する一派との勢力関係伯仲しており、昭和二十四年八月行つた同議会議員の補欠選挙の結果如何は、右勢力関係に重大な影響するところがあつたので、両派の選挙運動は激烈を極めていた。右選挙運動の行われるに当り、知事派議員候補者の運動員某が二回にわたつて原告の許を訪ねて來て、暗に同候補の当選を支持して欲しい旨申込んできたが、原告は、その都度選挙は公平に行わるべきであると主張して右要求を謝絶した。もともと、青木知事の盡力で大阪自治体警察から現在の職に栄轉してきた被告が同知事に恩義を感じていることは当然で、被告は、かように愛民党を支持しない意思を表示して立場を明らかにした原告に反感を抱き、原告をそのまま警察署長の地位に止めておくことは選挙の結果に不利であるとして事実を捏造した一事務官の申告に基きこれを口実として、選挙運動期間中突然原告に轉任を命じ、その後任として被告の旨を承けて愛民党に與する中塚新署長を任命したものである。なお、地元久万町の町長で青木知事支援派の縣会議員である井部栄治は、かねがね原告を目の仇として轉任運動を策動していた事実もあり、たまたま右選挙に関連して、これが表面化したとも考えられる次第である。
(五) しかも、被告は、原告が当時被告に対し前記高木信三の懲戒事犯について上申したに拘らずこれを放置し、又原告同様山内みどりに接吻を強要したことがあるとせられる当時被告の部下であつた警部補山本満一については、何らの処分をすることなく、原告ひとりを懲戒審査委員会に付議し、その間差別的取扱をして不公正な取扱をしているものである。
(六) これを要するに、被告の原告に対する免官処分は、
(1) 被告、若しくは被告の部下が、原告を脅迫又は強制して原告をして退職願を提出することを余儀なくせしめその結果原告を退職せしめた点において、国家公務員法第三十九條の規定に反する違法の処分である。
(2) 原告ひとり差別的取扱をした点において、同法第七十四條の規定に反する違法の処分である。
(3) 原告の所爲が懲戒事犯に値しない限り、原告を免職するについては、同法第七十八條第一乃至第四号の事由がなければならないに拘らず、原告はそのいずれにも該当しないし、その他法令にも何ら規定がないに拘らず原告を免職した点において、同法第七十五條の規定に反する違法の処分である。
依つて、本訴を提起して被告の原告に対する依願免官処分の取消を求める次第である、というに在る。(立証省略)
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として陳述した要旨は次の通りである。
(一) 原告の請求原因(一)の事実はこれを認める。
(二) 原告の請求原因(二)の事実は大部分眞実に符合しない。即ち、
(1) 被告は、昭和二十四年八月九日付で上浮穴地区警察署勤務警察事務官高木信三から書面を以て原告に規律違反の事実がある旨の申告を受理したので、被告は、国家地方警察基本規程第九十條の規定に基いて早速監察官上岡警部をして事実の概要を調査せしめたところ、右申告の内容に一部符合する後述(三)の事実があること、及び地元町民の間では右の事実が喧傳流布されており、中には、「署長が交換手を署内で強姦した。」などと噂している事実を探知したので、原告を現職に留めていることは、官の威信に拘ることとて同年八月十一日縣本部に原告の出頭を求め、反省を促すと共に自発的に退職することを勧告した。すると、原告は、被告に対しクドクドと過去の警察経歴を語り「この様な恥しい事故のために警察を去ることは忍びない。」とか何とか女々しい言訳をした後、涙を流しながら職が見付かるまで発令を暫く猶予してもらいたい旨懇願するので、その衷情を察し轉勤を予告した上、就職口探しのため時間を與えてやつたものである。被告がかような処置を講じて原告に引責辞職する機会を與えたことは、懲戒処分に付して原告の非行を発くことが警察の体面にも拘わる一方、原告本人の將來にとつても気の毒であると考えたによるもので何れの官廳においてもこの種事案が生じたとき、一應採られる通常の方法であつて、何ら強要にわたる処置ではない。一應被告の意のあるところを酌んで退職の意思を表明した原告を、見とうしのない時期まで警察署長の要職におくことはできないし、又丁度縣会議員の補欠選挙前で、その取締のためにも緊念に事を処理する必要があつたので、さきの予告に從い、同月十三日警察人事で通常の慣例に從つて、原告を一時本部勤務とする発令をしたのであるが、そのとき、原告に出勤しなくてもよいと添書したのは、原告が就職口を探すため、自由勤務としてやつた親切心に外ならない。同月十九日原告が轉任の挨拶のため縣本部に出頭してきたとき人事裝備課長から一應原告が退職することを決心した以上退職願だけは出しておくように促しておいた。然し、それにも拘らず、原告は退職願を提出せず、一箇月半も経過したので、原告に出頭を命じ、人事裝備課長をして原告の眞意を訊し善処方を促した。それにも拘らず、原告は依然退職願を提出せず、漸く当初の辞意を翻したことが明白になつたが、一方上岡監察官は、所要の調査を遂げ、同月二十九日申立書を被告あて提出し、懲戒事犯たる原告に対し相当処分ありたい旨請求してきた。
(2) 以上の次第で、不本意ながら被告は同年十一月十日縣本部において、懲戒審査委員会を召集し、自ら委員長となり越智警視以下四名の委員と共に、上岡監察官の申立書に基き原告の懲戒事犯につき申立人被申立人(原告)双方提出の諸資料を愼重審査し、その結果委員長以下全員一致した票決により原告に規律違反の事実があることを認定し、右は免職に値するものとして委員会から被告に答申された。
(3) 右懲戒委員会の終了後、温泉地区警察署長桑村警視及び懲戒委員の一人である越智警視が温泉地区警察署に原告を招き退職願提出のことについて、懇談したことは、両警視各個人の発意に基くもので被告の全く関知しないところである。然し、事の実相というのは次の通りである。即ち、桑村警視は、さきに宇和島署長当時及び原告が上浮穴地区警察地区警察署に轉任直前温泉地区警察署長として両度にわたり原告をその次席として部下に持つていたことがあり、公私共特別に交際を敦くし原告の家庭の事情にも通じていた。それで若し、右委員会の決定通り原告に規律違反の事実があるとすれば原告は、一方的に懲戒免官となり恩給も退職金も交付を受けることができぬ結果を招くので原告の將來を考え、越智と共に、先輩として又友人として全く好意的に原告と懇談し、最終の機会として原告に退職願提出方を勧告した。原告は早速決しかねたようすであつたが、熟慮の末結局懲戒免官となるよりは進んで退職願を提出し、依願免官の辞令を受ける道を選ぶことに得心し、両名に対し翌十一日辞職願を提出することを約束した。そこで、桑村は、原告を慰藉する意味で越智と一緒に原告を私宅に招いて晩餐を共にし、和かな歓談の裡に一夜を過した。さきに原告が辞意を決したとき、桑村は原告の求めにより退職願の草稿を書き與えておいたが、翌十一日朝桑村が約束に從つて原告が当時滯在していた松山市一番町村上某方に原告を訪ねて行つたとき、原告は、未だ退職願を認めていなかつた。原告は、そのとき用紙硯等を取寄せ、桑村に対し自分は毛筆を能くしないから代書してもらい度い旨依頼したので、桑村はあつさりと右申出を承けて、原告のため退職願全文を認め、その上事の序でに、原告の氏名まで代署してやつた。その名下に、原告が捺印して出來上つたのが、即ち原告の退職願(標題退官願、乙第一号証)であつてこれは、桑村を介して被告の許に提出された。被告は、もとより好んで原告を懲戒免官処分にする心算は毛頭なかつたこととて、桑村のとりなしを容れて右の退職願に基き、原告に対し依願免官処分を発令した次第である。
(三) 而して、右懲戒審査委員会に付議された原告の規律違反の事実というのは、原告は上浮穴地区警察署長として在勤中、
(1) 昭和二十四年六月二十九日及び同年七月一日、いずれも夜間酒気を帶び警察署二階において、その都度電話交換事務に從事中であつた原告の部下職員通信書記天野タマキ(当時二十一年)に対し、上官としての地位を利用して情交を要求し、拒絶せられるや、その意に反し同人に接吻し、
(2) 同年七月十日頃及び同月末日頃、いずれも夜間前同所においてその都度電話交換事務に從事中であつた原告の部下職員通信書記山内みどり(当時二十年)に上官としての地位を利用し、その意に反し接吻したものである。
右は警察署長としてあるまじき行状であつて、そのため内部下職員の不信を買い署内の紀律を弛援せしめ外警察官としての威信を失墜したもので、これは重大な規律違反として懲戒免官に値する非行である。
(四) 原告に右の非行があつたが故に、被告は、前述の通り親心を以て原告に退職を慫慂したもので、その裏面に政治的策謀があつたとする原告訴訟代理人主張(四)の事実は、原告の妄想にすぎない。
(五) 事務官高木信三に対する懲戒手続は、同人が自ら非違を認めて退職願を出したので被告は懲戒手続を中止して依願退職せしめたものであり、山本警部補については、同人に懲戒事犯としての非違があつたかどうか証拠不充分であつたから懲戒処分の処置を採らなかつたものである。
(六) 以上の次第で、被告の原告に対する依願免官処分は、
(1) 原告の自由意思に基いて提出せられた退職願に基いてなされたもので、国家公務員法第三十九條に違反しない。原告が被告を誣いて強要したと称するものは、被告の温情に発した勧告である。
(2) 被告が懲戒手続について原告を高木事務官及び山本警部補と差別扱をしていないことは前述の通りであるが、本件は、懲戒処分にかかるものでないから、原告訴訟代理人主張(六)の(2)の点は筋違いの議論である。
(3) 原告訴訟代理人主張(六)の(3)の点も、依願免官処分の効力の爭われている本件については、的外れの主張であつて採るに足りない。依つて、被告の原告に対する依願免官処分は何ら瑕疵のない適法の処分であるから、原告の請求は理由がない。
というにある。
(立証省略)
四、理 由
(一) まず、依願退職処分の場合においても、国家公務員法第三十九條の適用があるかどうかというに、同法條は、公務員を退職せしめるために脅迫、強制その他これに類する方法を用いる行爲を禁止しており、その行爲の相手方について別段の規定がないから、依願退職の場合退職願を提出せしめるため退職者に加えられる脅迫強制の如きも、勿論右禁止行爲に該当すると解すべきである。
而して、右の行爲は、同法第百十條により三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処せられ、当該行爲に因る被処分者(退職者)を保護しているのであるから、当該退職処分は、勿論違法の行政処分として取消訴訟の対象となるものと解すべく、進んで本案について審究するを相当とする。
(二) 原告が昭和五年九月一日愛媛縣巡査を拜命、爾來警察官として永年勤続中、国家地方警察の創設に当り愛媛縣地方警察に轉職、昭和二十三年七月末警部として上浮穴地区警察署長に補職せられ翌昭和二十四年八月十三日までその地位に在つたが、同日付をもつて縣本部警務部に轉職を命ぜられ、同部で勧務中、同年十一月十一日原告提出の退職願に基いて依願退職に付せられたものであること、原告が右退職願を提出するまでの経緯の中、原告が昭和二十四年八月十一日被告の命に依り縣本部に出頭したところ、被告から原告に懲戒事犯に該当する規律違反があるから円満に事を收める方法として退職願の提出方を慫慂乃至強要したこと、前述の通り同月十三日付を以て、原告が縣本部に轉任を命ぜられたが、それについては出勤を要しないとの添書が付せられていたこと、同月十九日右轉任の挨拶廻りのため原告が縣本部に出頭したとき人事裝備課長から退職願の提出方を督促乃至強要したが、原告はこれに應ぜずいる中、同年十月一日原告が被告の要求により縣本部に出頭したところ、又々人事裝備課長から原告に対し退職願提出方を再督促乃至強要したこと、それでも原告が退職願を提出しないので終に同年十一月十日縣本部において、被告が委員長として主宰する懲戒審査委員会が開催され、原告の懲戒事犯について審査の結果、委員長及び委員四名の一致した票決により原告に規律違反ありと認定せられたこと、右票決の後、委員会から、被告に、原告の所爲は懲戒免職に相当するとの答申がなされたこと、被告はその旨を原告に通知したこと、右懲戒審査委員会終了後、温泉地区警察署長桑村警視及び右委員会の委員の一人であつた縣本部警務部長越智警視の両名が原告を温泉地区警察署に招き、原告を説得した結果、遂に原告も退職願提出に同意し、退職願を提出すべきことを両名に約束したが翌日桑村が当時の原告の滯在場所であつた松山市一番町の村上某方に原告を訪ねたとき、未だ原告は退職願を作成していなかつたので、桑村が原告に代つて標題を退官願(乙第一号証)とする書面を認め、原告がこれに押印してでき上つたものが原告の退職願であつて、これが桑村の手を経て被告に提出されたものであることは当事者間に爭ないところである、而して、証人桑村勝利の証言によると、桑村が宇和島警察署長当時原告はその下で次席を勤めていたことがあり、後に同人が現職の温泉地区警察署長に就任した後、原告が再びその下で次席として赴任し上浮穴地区警察署長として轉任するまでその職に在つた関係上、両名は特に親密な間柄であつた。それで、本件原告の規律違反の問題が生じた後間もなく原告の妻から本件の解決方を依頼せられた桑村は、被告に面談し善処方を依頼したりしたこともあつた。その後桑村は事件の内容を聞知するにつれて、原告をして円満に退職せしめることを得策と考え、一度は原告を温泉地区警察署に招き越智警視と共に退職願の提出方を慫慂し、更にその後電話を以て同様の説得を試みたこともあつた。右懲戒審査委員会の当日その終了後同人が越智警視と共に原告に最後の説得を試みたのは、被告の旨を承けたによるものでなく両名の個人的好意に発したもので、原告が退職願を提出することを承諾した後、桑村は越智と共に付近の料理店において小宴を張つて原告を慰藉したりした。かような次第で、その翌日桑村が原告のため退職願を認めてやつたのは、毛筆は不得手だから代書を頼む旨の原告の申出を気軽く承諾して好意を以て代筆してやつたものであることが明白である。右認定事実に反する原告本人の供述は措信し難い。
(三) 以上の事実によれば原告の退職願提出そのものは、被告はもとより桑村、越智においても、原告を脅迫又は強要してこれを強いたものでないことが明白であるが、一方原告は成行上止むなく不精不精に退職願を提出したものとも認められるので、若し原告に眞に懲戒事犯に値する規律違反がないか、あるにしてもそれが免職に値しない程度の規律違反にすぎないとすれば被告又は人事裝備課長の原告に対する退職願提出方の要求は強制行爲といえようし懲戒審査委員会の審査は脅迫又は強制若しくはこれに類する行爲といいうるわけで、原告が退職願を提出したについては、勿論これらが因果関係を有しているのであるから一應原告に規律違反の事実があるか、若しあるとすれば果して懲戒免職に値する程度のものか否かについて審按する必要が生じるわけである。
成立に爭ない乙第三号証同第五号証同第八号証証人天野タマキの証言を綜合すると、昭和二十四年六月二十九日上浮穴地区警察署員の廣島管区学校入学に当りその送別会が同署において開催されたが当夜八時三十分乃至九時頃酒気を帶びた原告が同署二階の電話交換室に上つて來て、当夜の宿直員であつた交換手(通信書記)天野タマキに茶を所望した上種々話を持掛け、「定まつた人があるのか。」という意味のことを質し同人が、「ない。」旨答えると、「そんなら、こちらに來い」と言つていきなり同人を引き寄せて抱きかかえようとしたので、同人はこれを振り切つて階下に逃げ降りたところ、原告は間もなく一時官舍に引揚げたが、同夜十一時過ぎ頃再び警察署二階に上つて來て、無理に電話交換室の戸をこじ明けて中にはいり、右天野タマキに接吻を強要したが同人はこれを振切つて階下に逃げ降りたので暫くして原告は官舍に引揚げたこと、その翌々日七月一日夜九時頃原告は、やや酒気を帶びて警察署二階廣間に上つてきて、そこで当夜の宿直員であつた前記天野タマキをつかまえ、同人を籐椅子の上に押しつけて無理に接吻をした上、更に情交を強要したが同人が峻拒したのでその目的を遂げなかつたこと、以上の事実を否認するが如き甲第二号証(始末書)は天野タマキが原告の要求によりその指示した内容に從つて認めたものであるがその記載は眞実に符合しないものであることが明白である。以上認定事実に反する乙第九号証中甲第二号証は天野タマキが自己の発意で認めたものである旨の供述記載部分、及び原告本人の原告が天野タマキに接吻したことはない旨の供述は措信できない。
右原告の所爲は犯罪行爲ということはできないにしても天野タマキに対する重大な不法行爲であつて、單に酩酊の上の戯事とは到底考えられないところであつて、特に原告が多数の部下を統卒する重責に在りながら、勤務中の部下職員に対して右のような行爲に及んだものである点を想到するにおいては、これが国民全体の奉仕者たるにふさわしくない重大な非行として、懲戒免職に値する規律違反というべきである。從つて被告が原告の右所爲を取り上げて穩々裡に退職せしめ、円満に事を解決すべく、自ら又は部下をして原告に退職願の提出方を慫慂したことは、被告の上官としての親心に発した温情ある措置というべく、懲戒審査委員会の審査の結果、原告に規律違反の所爲ありとしてこれを免職処分に付すべきことを票決したことも相当である。
然らば、原告に別に規律違反の所爲(山内みどりについて)があつたか否かの点を審究するまでもなく、原告が強制を受けて退職願を提出したとの主張は採るに足りないし、もとより被告が政治的策謀を以て原告に退職を強要したこととはならない。
依つて、原告の本訴請求は、理由がないこと明白であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 加藤謙二 水池巖 橘盛行)